もりじゅんの読書ブログ

読んだことない人には面白そうと、読んだことある人にはヒントの1つをと、作品を紹介できたらと思います

トルストイ『人生論』 ゆるい要約と個人的な感想

2024年1月20日、今日は日本の暦では大寒です。

文字通り最も寒い季節とされます。

寒の期間(小寒~立春)のちょうど中日であり、そう考えると、これから寒が退いていくとも考えられます。

みなさん、どうぞご自愛ください。

私も自愛します。

 

具体的にどう自愛しようと考えていたのですが、まず、熱い風呂に入る。

その前に、読み終わった本を自愛しつつ緩く語ろう。

そう、この記事です。

手を抜くわけではないけれど、力まずに、適度に、書く。

そう思います。

 

『人生論』 トルストイ 新潮文庫

 

実はこの書籍は、昨年十一月ほどから読み始めていました。

しかし、一言で言うなら、読みにくい。

理由は、文章も、語り口(伝え方)も、回りくどい。

現代人の文章の書き方なら、同じことを訴えるのでも、文庫本で30ページほどで終わりそうなものを、256ページかけている(トルストイファンの方には、申し訳ない気分です)。

最初の3分の1ほどは、耐えつつ読んでいたのですが、はてなブログを書いてらっしゃる方が「中年になれば、つまらない本は我慢して読まなくてけっこう」という意味のことを書かれていて、「それは一理ある」と思った私は、必殺「流し読み」に切り替えたのでした。

そしてようやく本日読了。

なので、できるだけ要点を逃さないよう、「流し書き」で綴ってみたいと思います。

 

 

トルストイの略歴

1828年地主貴族の息子として生まれる。

69年『戦争と平和』、77年『アンナ・カレーニナ』、99年『復活』などを発表。

1910年82歳で死去。

「トルストイ運動」を起こした。

 

『人生論』の背景

1870年代の「回心」をへて、「トルストイ運動」開始のあと、86年暮れ~87年8月に執筆された論文。

86年、トルストイが農作業中怪我をして、高熱を出し、その見舞いの手紙に「もし万人にとって必要なトルストイのような人間まで死なねばならぬとしたら、死はいったい何のためにあるのか? それを考えると、理性と感情をどうやって調和させてよいのか、わからなくなる」との質問への返信が草稿。

翌87年のモスクワ心理学会の研究報告と討論に参加したトルストイは、前の手紙に加筆し『生命についての概念』という題で講演。これが第二稿。

88年最終校正が完成したが、出版は検閲により禁止。「正教の教義に対する不信を植えつけ、祖国愛を否定している」というのがその理由。

地下出版、国外での翻訳をへて、89年ロシアでも雑誌に部分発表。

 

要約と感想

そもそもなぜ私が読もうかと思ったかというと、

 


www.youtube.com

 

という動画を観て、南アフリカで活動していた時代の無抵抗主義に目覚める前のガンジーがトルストイと文通していて、その感化を受けたガンジーがインドに帰り独立運動を成功させた、という知らなかった歴史事実と、テーマについて面白そうだと感じたからです。

 

では、テーマとは何か。

それはのちに譲るとして、本書は、19世紀の「スピリチュアル本」だと思いました。

けっこうスピってる。

 

要約

「理性的な意識」と「動物的個我」がある。後者に従って生きていきがちだが、後者は前者に従属されるべきものだ。「理性的な意識」によって生きると、死の恐怖に影響を受けることなく真の生命に生きられる。真の生命の行為とは愛である。

 

思ったことをつれづれに

理性的な意識と動物的個我。

まずこの言葉が著者にとってどういう意味合いであるのかを探るのに時間がかかりました。

出だしの1/3ぐらいが定義を明確にされないままそれらについて語られます。

今風に言えば、「理性的な意識」が自己、「動物的個我」が自我。

長ったらしく「動物的個我」にまつわるいろんな事象についての否定が行われます。

三十五章のうち、第十七章から「霊による誕生。」という題でようやくポジティブな記述が始まります。

第十八章「理性的な意識は何を要求するか。」、第二十二章「愛の感情は、理性的な意識に従う個我の活動のあらわれである。」、第二十四章「真の愛は個我の幸福を否定した結果である。」、第二十五章「愛は真の生命の唯一の完全な活動である。」、第三十三章「目に見える生命は、生命の無限の運動の一部分である。」、第三十五章「肉体の苦痛は、人々の生命の幸福のための必要条件である。」、と続きます。

「結び」では、「人間の生命は幸福への志向である。人間の志向するものは与えられている。死となりえない生命と、悪となりえない幸福がそれである。」と結ばれます。

 

トルストイのファンの方には再度申し訳ないのですが、そしてトルストイにも頭を下げながら言いますが、「そんなことわかっとるわい!」といったことが論文調の硬い文章で読まされます。

私は二十歳になる年に『復活』に挑戦してみましたが、挫折した記憶があります(あらすじすら覚えていないです)。

2007年刊行の『トップテン 作家が選ぶ愛読書』で1位の『アンナ・カレーニナ』も読んでいませんし、3位の『戦争と平和』も読んでいません。

読まず嫌いなところもだいぶありますが、合う・合わないって、やっぱりあると思います。

私にはトルストイはやっぱり合わないのかな、と考えてしまいました。

トルストイと同時代のロシアの作家だと、ドストエフスキーはいくつか読みましたが。

 

やっぱり、総じて思うのは、今の時代、このような論文調で自明のことを書かれると、逆に、受けつけなくなる、ということです。

鉄拳制裁当たり前の野球部の監督の説教を聞きながら、心の中で「はい、はい」と呟いている部員のような状態になってしまう。

この書が「トルストイ運動」の人々やロシア革命後のソ連でもしかしたら愛読されたのかもしれませんが、現代人、現代の日本人にはどうなのでしょう。

ありがたがって読まれる姿を、ちょっと想像できません。

 

あ、最後に、本書のタイトルは『人生論』ですが、内容はどちらかというと「幸福論」だと思います。

 

 

関東では雨が降っています。

予報では来週中頃が寒さのピークのようです。

みなさんも、一番体が堪える季節、どうぞお体を大切にされて乗り切ってください。

私も自分の体を大事にしてゆるーく書いてみました。

ゆるーくでいいんです、こういう時季は。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。