もりじゅんの読書ブログ

読んだことない人には面白そうと、読んだことある人にはヒントの1つをと、作品を紹介できたらと思います

舞城王太郎『煙か土か食い物』のネタバレなしストーリーと魅力についてご紹介!

アメリカ西海岸に住むIT企業に勤める妹が一時帰国して少し話したのですが、一番記憶に残っているのはこれは彼女の感情的な私見なのですが、

「フランス人が世界で一番性格が悪い」

ということでした。

「フランス人ってアメリカ人をめっちゃ馬鹿にしてるよね」

と私が相槌を打つと、やっぱりちょっと乗ってきました。

他には、

「アメリカはインフレと景気が比例してる感じ?」

「まあそうかもね」

「日本は物価高と景気が比例してない感じなんだよね」(←これも私の見方にすぎません)

「ふーん」

(おめえ、母国のことどうでもいいと思ってるだろ!)と、「祖国ハラスメント」(略してソコハラ、今私が捏造しました)してやりたい気持ちも湧きましたが、さすがに口にはしませんでした。

そんなこんなで次回はいつ話せるかはわかりません。

(数日後円安に乗っかって彼女は石垣島に旅行に行き帰るそうです)

 

次会うときはお互いの親を前にして黒い服を着ている可能性も高いです。

 

そんな未来のまだ見ぬ風景をぼんやりと幻視していると、ふとある小説が頭の中に浮かび上がってきました。

たしかその作中では、熱い兄弟愛、親子愛、あるいは肉親内での憎しみ、そんなものに満ち溢れていた気がします。

『煙か土か食い物』というタイトルです。

今回はこの小説について少しお話ししてみたいと思います。

 

 

『煙か土か食い物』の概要とネタバレなしストーリー紹介

2001年発表の覆面作家・舞城王太郎のデビュー作。第19回メフィスト賞受賞。

当時私はヤフーチャットの通称「本部屋」に出入りしていましたが、相当話題になっていました。もちろん私もノベルス買いました。「ケムリズム」というファンサイトが登場したほど。このあと舞城は馬車馬のように書きなぐり続け、『熊の場所』、『阿修羅ガール』(三島賞受賞)、『九十九十九』、『山ん中の獅見朋成雄』、『好き好き大好き超愛してる。』(芥川賞候補)、と上りつめてゆきます。

 

アメリカ在住の天才外科医・奈津川四郎はお袋が「連続主婦殴打生き埋め事件」に巻きこまれたと知り、「ファック!」と思い、福井に帰国。警察とは別に独自に捜査を開始する。そこでは長兄一郎、三男三郎の思惑も絡み、また、不在の二郎の、あるいは奈津川家の黒歴史が浮上する。事件は解決するのか、二郎はなぜどうやって消えたのか……。

 

この作品の魅力とは?

⒈ 結局「愛だろ、愛」

四郎は明晰な頭脳の持ち主で暴力的で(この暴力に関しては奈津川家全員に言えます)言葉遣いも荒かったりしますが、心根には深い愛情を持った青年です。それは一郎、三郎にも言える。父親も、母親も、二郎も、きっとそうなのでしょう。

そんな親族に愛を持つ彼らがなぜ憎しみ合わなくてはならないのか。四郎に聞いてみても、答えられないかもしれません。

いや、一郎が答えの一部を持っているかもしれません。

「復讐は犯罪の父」

この言葉の意味が、ラスト、鮮やかに返ってくるのですが、奈津川家のみんなは、愛し合いながら、よくわからないまま互いを傷つけていきます。

四郎だって、本当はそうしたくないのに、暴力を振るわざるをえない。だから、表面上は、四郎はとてもおっかない顔に読んでいて想像できます。あるいはぶっきらぼうそうに。

しかしその皮膚の下で、「愛だろ、愛」(昔CMでありましたね)とブツブツ呟き続けている。表情ではニヒルそうなんだけど、コートの下のボディーでは愛を抱え続けている男。そんな男の目線で語られる物語、読んでみたくありませんか? しかも超絶頭脳優秀で。

 

⒉ 文体が(当時)新鮮(だった)

そういう四郎の語り口として、自然と饒舌体といいますか、一文にかなり単語を詰めこんだ文章となっていきます。勢い溢れるというか、流れるようと言うべきか。とにかく文体がエネルギッシュ。細かいこと気にするな! You! とでもいうような。だから読んでいるこちら側も細かいことを考えすぎずグイグイと進めていける。あとは舞城が編み出す奔流に身を預けるだけ。そんな舞城アトラクションのジェットコースターに乗せられて結末まで運ばれる。

だが齢を重ねて読むと、正直、若いな、という気もしないでもありません。

ここらへんは好みの違いにもなりますでしょう。

好きな人はほんと好きでしょうし、嫌いな人は嫌いだろうとしか言えませんね。

 

⒊ 舞城王太郎の作品の中でも一番バランスが取れている

のちの短編集『熊の場所』や『阿修羅ガール』などでも舞城は実験的な試みを行っていきますが、彼は知的な静謐な筆致と、幼稚な勢いのある筆致・内容との狭間を行き来しているような傾向があって、そのバランスという意味では、このデビュー作が一番均衡が取れているように、あるいは完成度が高いように私には感じられます。

そして⒈でも述べたように、舞城の一番よきところは、「結局なんだかんだ言ってBoy meets girlじゃん」「愛じゃん」だと思うのですが、それが、ある種の奇跡のような現れ方をして、もっと大袈裟に言わせてもらえるなら、「傑作が生まれたときの気配」が漂っていて、読者としてこうも幸福な瞬間があるのか、というような、独り善がりですが、直感が働きます。肩に力が入りすぎてなく、何だか知らないけどできちゃったんです、これ、みたいな。この読書中の感覚に似たようなものは他のいわゆる「名作」を読んだときにも感じられるものです。例えばドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』とか。作るのに苦労したんだろうけど、苦労のあとを感じられないというか。こういう類いのことは「感覚」ですから、立証しようにも不可能だし、完全に「主観」ですから、説得力を増せないのですけれど、少なくとも私はそのようなものを感じました。自分にはそうは思えなかった、少しわかる、など、いろんな方の意見を聞いてみたいものです。

 

まとめ

⒈ 結局愛なんかい! といった楽しみ方をできる。

⒉ 勢いにまかせて読んでいける。

⒊ (舞城王太郎の作品の中では)ちょうどいい。

 

 

ノベルス版は文庫版と読み比べ終わったときに(私の目からは一か所だけ変更がありました。不要な過剰な動物に関する暴力のシーン。それ以外にもあるのかもしれません)当時つき合っていた彼女の息子さんにプレゼントしてしまい今は手許にありません。

三回目、読むときがくるのでしょうか。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。