もりじゅんの読書ブログ

読んだことない人には面白そうと、読んだことある人にはヒントの1つをと、作品を紹介できたらと思います

戦争体験を色濃く反映したヴォネガットの半自伝的長編 『スローターハウス5』

 

20日間ほどをかけて、ようやくカート・ヴォネガット・ジュニアの第6長編にして代表作の一つ、『スローターハウス5』(伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫)を読み終えました。

作者のドイツ方面での第二次世界大戦従軍体験、中でも連合国側でも1963年までひた隠しにしていたドレスデン爆撃(本作によるとヴォネガットは死者数だけを取り上げて広島より被害が上だったという)による凄惨さと(実際には戦闘シーンはほとんど描かれていなく捕虜体験を中心としている)、SF的ギミックの「時間旅行」による時系列順でない記述、トラルファマドール星人による主人公のトラルファマドール星への誘拐、といった要素が闇鍋のようになっていて、読むのに時間がかかってしまいました。

 

SF作品は得意ではなく、控え目に本作について書いてみたいと思います。

 

 

作者・ヴォネガットの簡単なプロフィール

1922年アメリカ・インディアナ州インディアナポリスに生まれる。ドイツ系移民の四世。コーネル大学で生化学、カーネギー・テックで機械工学を学び、テネシー大学にも通ったが、第二次大戦の勃発で陸軍に召集され、斥候として兵役につく。ドイツ軍に捕らえられ、1945年2月13日夜にドレスデン無差別爆撃を被害者の側として体験する。戦後シカゴ大学に学び、一時ジェネラル・エレクトリック社に勤めたあと、フリーランスの作家に転向した。(本書「訳者あとがき」より)

 

『スローターハウス5』の構成、あらすじ

全10章からなる。

1章と10章は主に作者と思われる作家の視点で語られる。

メインの小説部分はビリー・ピルグリムという架空の作者の代理人的存在の半生を、意識が時系列を超えてさまざまな瞬間に強制的に飛んでしまう時間旅行を通して語られる。主要な場面はビリーの第二次世界大戦従軍の日々だが、その中には戦後、トラルファマドール星人に拉致されて本国で動物園の見世物として地球人を展覧する対象として扱われたりもする。

トラルファマドール星人は人間と違って時間のあらゆる瞬間を同時に認識できる能力があり、数々の惑星を見てきたが、地球人のように自由意志なるものがあるものだと勘違いしている生物はいなかったと言う。

 

感想

私は上述で挙げたこの小説の3つの特徴、つまり、

  • 第二次世界大戦従軍体験
  • 時間旅行により過去・未来に瞬間的に旅立ってしまう記述
  • トラルファマドール星人による拉致、そして動物園で展示される人間としての生活

を、すべてヴォネガットの戦争体験PTSDに結びつけて読んでしまいました。

乱暴と言えば乱暴な読み方なのですが、目を通していて陰鬱と言いますか、何かしら病的なものを感じ取ってしまいます。平たく言えばやるせなさでしょうか。

文中には数え切れないぐらい夥しく「そういうものだ。」(So it goes.)と出てきます。誰かが亡くなったとき、ひどいことが起こったとき、必ずこの台詞で締めくくられます。

「そういうものだ。」という、単純で実際には意味をなしていない言葉でしか表出できない感情がもしかしたら戦後ヴォネガットの胸を占有し続けていたのかもしれません。

また、時間旅行者とトラルファマドール星人の考え方は、ヴォネガットの人生訓であると同時に、そうあらねば生きてゆけない状況を体験してきたからなのだとも感じられました。

けして楽しくは読めなかったけれども、ここにはヴォネガットにしか書けない書き方と、ヴォネガットによる間接的な自己表現が含まれているように察せられました。

 

 

次はエンターテインメントに寄った作品を読んでみたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。