「ほんとのことをいう」モームの短編集
長編『月と六ペンス』『人間の絆』と読んできて、モームの「現実を残酷に暴く執拗な目線」のようなものに心を打たれて、本短編集に目を通してみました。
mori-jun.net
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「ほんとのことをいう」とは、本書で扱っている8つの短編中7番目に出てくる「ジェイン」という作品の末尾に出てくる言い回しです。
ジェインが自分でもなぜだかわからないけれど自分の発言がみんなにウケてしまうことを考えて言った台詞です。
「(上略)でもそのうちわかってきたの。これは、あたしがほんとのことをいうからだって。ほら、ほんとのことをいう人って、ほとんどいないじゃない。だからおかしくきこえるのよ。(下略)」
タイトルでモームを「現実暴露系作家」と表現してみましたが、どんな風に暴露しているかという視点で、8つの短編を紹介してみたいと思います。
1 「アンティーブの三人の太った女」
冒頭に置かれたこの作品はかなり短めです。
と同時に私的には一番ピンとこなかった作品です。
南仏の町にダイエットのため(管理するための専門の医師がいたりもする)来ている3人の太った中年女。彼女たちはトランプのブリッジが大好きで、食事制限と脂肪の増減とで結ばれている。
そこへ3人のうちの一人の従姉妹がやって来る。彼女はスリムで、その上太りそうなものをよく食べる。しかし太らない。ブリッジの腕もいい。
従姉妹が3人の輪に加わることで、それまで連帯感を持っていた3人の女の仲は崩壊します。
彼女が帰ると、残された3人は爆食を始め、よりを戻すという結末。
女友達の間での友情の真実を暴露しているとでもいうのでしょうか。
2 「征服されざる者」
この短編が一番インパクトがありました。
第二次世界大戦でドイツ軍の兵士としてフランスに駐留している男が、ある夜農民家で娘をレイプしてしまいます。
やがて民家の家族から男は娘が自分の子供を妊娠していると聞かされます。
男は前々から反抗的な娘を屈服させたいと考えていたものの、その報せから、真心こもった気持ちで娘と結婚し農家を継ぎたいと考えます。
しかし拒絶し続ける娘。
最後の方は娘以外の家族もいろんな差し入れをくれる男に好意的になっていたのですが、娘の出産の日、悲劇は訪れます。
屈服しないフランスの女として、「征服されざる者」として、娘が取った行動とは。
こういうストーリーの場合、概ねドイツ軍兵士の男を威圧的、フランス人農家の娘を潔癖で孤高で強い女、と描きがちだと思うのですが、この作品の場合、兵士の側にもやさしさと戸惑いとがふんだんに見え隠れし、娘の側にも弱さがふんだんに見え隠れしています。
それが人物像と世界観にリアリティーをもたらしていると思います。
征服する者と征服されざる者の現実を見事に暴露しているのかもしれません。
3 「キジバトのような声」
語り手の作家の男は、プリマドンナ(オペラの主役となる女性歌手)を題材とした作品を書こうとする新進作家と知り合う。
語り手の男はあまりに夢想的な彼のプリマドンナ像を壊してやろうと、知り合いのプリマドンナとのディナーに招待する。
そこで繰り広げられるイカれた女性歌手のトークと振る舞い。
だが、私は物わかりのいい人間より、ちょっと面倒な人間の方が好きなのだ。彼女はいうまでもなくいやな女だが、あらがいがたい魅力があるのはまちがいない。
で締めくくられています。
魅力的な人物は壊滅的に壊れている場合が多い、という現実を暴露しているのではないでしょうか。
4 「マウントドラーゴ卿」
すぐれた精神科医のもとに、ある大物政治家が訪ねてくる。
彼は夜屈辱的な夢ばかり見続ける。
精神科医のいつものセラピーでも患者は治療しえない。精神科医は夢にいつも出てくる野党の侮辱してしまった政治家に対して謝罪しないかぎりよくなることはないと告げる。
それを拒否する患者の大物政治家。
結末、不思議な事件で、クライアントの大物政治家、野党の政治家、ともども別々に死んでしまう。
人間の潜在意識の奥ゆかしさに光を当てた作品。
5 「良心の問題」
南米フランス領ギアナのある町は、流刑地で、刑務所を中心とした街作りになっている。
そこを訪れている語り手の男は、世間で蔓延している「良心さえ強く持っていれば、殺人など重罪を犯すはずがない」という考えに疑問を持っている。たしかに良心の欠片もない受刑者も多い。しかし良心が理由で妻を殺害した男もいる。その男の話が彼と語り手の男の補足とで紡がれる。
「良心ですべては解決するか?」といった問題にメスを入れた作品。
6 「サナトリウム」
結核不治の時代でサナトリウムに集う男女はみな精神的に奇妙な状態にいる。
希望を持って建設的に生きられる患者は少ない。
そんな人たちの中であるカップルが設立し、サナトリウムで結婚式を挙げる。
男の方は余命長くはなく、結婚すればもっと短くなる。
女の方は妊娠したら命取り。
それでも愛を貫く二人の影響を受けて、結末、サナトリウムの人々は変わっていく。
理想主義的なものや一般論的なものをバッサリ切り捨て続けてきた著者が、本編で、「それでも愛の力は厳然として存在しているんだよ」とでも告白しているようです。「愛の存在と力」を暴露しているかのよう。
7 「ジェイン」
語り手の男が招かれた婦人の邸宅で、婦人の義理の妹のジェインと知り合う。ジェインはファッションも時代遅れで、ちょっと言うことも風変りだ。
そんなジェインは27歳も年下の若者と再婚する。
若者は語り手の男が海外に行っている間、ジェインのファッションや髪型を、個性的に変えてしまった。するとみるみるジェインの周りにはジェインが本来持っていた魅力に気づいた者たちが集い、ジェインはロンドンのパーティーの主役級になってしまった。ジェインの語る風変わりなことにもみな喜んで笑う。
ついにはジェインは若者を捨て海軍提督と再婚する。
そんなジェインと、彼女を見つめる最初の婦人、語り手の男の間で、ラスト会話がなされる。
ジェインはどうして変わったのか、また、元々持っていた魅力について。
「(上略)でもそのうちわかってきたの。これは、あたしがほんとのことをいうからだって。ほら、ほんとのことをいう人って、ほとんどいないじゃない。だからおかしくきこえるのよ。(下略)」
人が「何を喜ぶか」について見事に暴露した作品。2番目に私は印象に残った短編でした。
8 「ジゴロとジゴレット」
カジノのあるフランスの街で、炎が浮かぶ水槽に高飛びこみする芸人の妻とそれを支える夫。
ある晩1回目のショーのあと、元芸人夫婦に話しかけられたことにより、芸人の妻はメンタルを崩し死の恐怖に囚われる。2回目のショーはやりたくないと涙を流す。
それをどうにかなだめようとする今は彼女のマネージメントをしている元ダンサーの夫。
昔の苦しかった時代にまで記憶は遡り、夫はショー続行の意志を撤回して、もうやめようと言う。
しかし夫が自分を心配していろいろ昔のことを語ってくれて癒されたのか、けろりと治った妻はこう言う、
「お客さんをがっかりさせちゃだめでしょ」ステラはくすっと笑った。
「サナトリウム」が「愛の存在と力」を暴露しているならば、「ジゴロとジゴレット」は、パートナー間の絆の力を暴露しているのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。