もりじゅんの読書ブログ

読んだことない人には面白そうと、読んだことある人にはヒントの1つをと、作品を紹介できたらと思います

地獄よりも地獄的な 芥川龍之介「地獄変」のあらすじと概要

 

『芥川龍之介短篇集』 ジェイ・ルービン編 村上春樹序 新潮社

 

本書の編者・ジェイ・ルービンは冒頭に書いた「芥川龍之介と世界文学」という概説の中で、「地獄変」について《芥川の作品の中で一編しか後世に残せないとしたら、この作品だろう》と評価しています。私は後期の傑作「歯車」とこちらと、どちらを選ぶかだいぶ迷ってしまうと思います。ルービン自身も同文で《「地獄変」が芥川の初期の傑作ならば、後期の傑作は間違いなく「歯車」だ》と断言しています。小説の書き方のスタイルがまったく異なるので、甲乙つけがたいとも言えます。

 

mori-jun.net

 

本記事タイトルに「地獄よりも地獄的な」とつけましたが、これは芥川の「侏儒の言葉」の「地獄」の文頭で「人生は地獄よりも地獄的である」に拠ったものです。私たちは死後の世界も「地獄」も体験したことはありませんが、本作を読んで思うのはまさにこの「地獄よりも地獄的な」「地獄変」という作品の持つ陰惨さについてです。醜悪ですらあります。今日はこの作品について少し書いてみたいと思います。

 

 

芥川龍之介の簡単なプロフィール

1892年(明治二十五年)東京・京橋に生まれる。芥川が生まれた年に実母が精神病を発症、母の実家・芥川家で育てられ、養子となる。東京帝国大学(現東京大学)文科大学(現文学部)英文科に進学。在学中にのちに文藝春秋社を起こす菊池寛らとともに同人活動を行い、「羅生門」「鼻」を発表。夏目漱石に「鼻」を激賞される。卒業後海軍機関学校の英語教師や大阪毎日新聞社に勤める傍ら、創作活動を続ける。1919年(大正八年)結婚。三男を儲ける。1927年(昭和二年)7月24日、35歳で自死。晩年は胃潰瘍、神経衰弱、不眠症に悩まされていた。近代日本文学を代表する短編作家。代表作に「蜘蛛の糸」「地獄変」「藪の中」「河童」「歯車」など。

 

「地獄変」の背景

1918年(大正七年)五月に大阪毎日新聞及び東京日日新聞に連載され翌年短編集『傀儡師』に収録された短編小説。説話集『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀家の焼くるのを見て悦ぶ事」を元ネタとしている。

 

「地獄変」の主要登場人物

良秀

「本朝第一の絵師」。絵を描くためなら屍体だろうと平気でその前で写生し、どちらかというと醜悪なモチーフを描く。人情というものをまるで持ち合わせていないように見えるが、一人娘を溺愛している。堀川の大殿様に仕えている。

 

良秀の娘

小女房として堀川の大殿様の邸に住まっている。

 

丹波の国から堀川の大殿様に献上された猿。若殿様が悪ふざけで「良秀」とあだ名をつける。良秀の娘がかばって娘になつく。

 

堀川の大殿様

「中にはまた、そこを色々とあげつらって大殿様の御性行を始皇帝や煬帝に比べるものもございますが、(中略)あの方の御思召は、決してそのように御自分ばかり、栄耀栄華をなさろうと申すのではございません。それよりはもっと下々の事まで御考えになる、云わば天下と共に楽しむとでも申しそうな、大腹中の御器量がございました」と語り手に言わしめる殿様。

 

この小説の語り手。堀川の大殿様の家臣と思われる。

 

あらすじ

堀川の大殿様は、良秀という絵師を抱えていた。良秀の娘も仕えている。良秀は容貌が醜く「猿秀」と陰口を叩かれることもあったが、ある日猿が献上されてその猿は「良秀」とあだ名をつけられる。猿に柑子を盗まれた若殿様が折檻しようとするが、助けを求められた良秀の娘が取りなし猿は許される。それ以来猿は娘にすっかりなついてしまう。大殿様は良秀の娘をいたく気に入った。良秀は手をつけられることを恐れ大殿様に娘のお暇を願い出るが、却下される。大殿様は良秀に「地獄変の屏風を描くように」言いつける。良秀は裸の男を鎖で縛りのたうつ様子を描写したり、年若の色白の男にみみずくで襲わせ逃げ惑う姿を写し取ったり、眠っている間閻魔と会話していたりする。「奈落へ来い。奈落には己の娘が待っている。この車へ乗って、奈落へ来い」その頃娘の方では一つの事件があったようだった。猿に救助を呼びかけられた私は何者かに襲われた様子のただならぬ良秀の娘を目撃し、逃げさせる。その後良秀は大殿様の前に参上して願い出る。ただ一つ描けないものがある、それは地獄変の核をなす「枇榔毛の車が一輛空から落ちてくる所」で、「その車の中には一人のあでやかな上臈が、猛火の中に黒髪を乱しながら、悶え苦しんでいるのでございまする」。大殿様は実際に自分の車で誰か罪人の女を縛りつけ焼いて見せようと快諾する。二、三日後、山荘でそれは行われた。大殿様と家来が見守る中、車に火がつけられた。それを見せられる良秀。車の中にいる女は良秀の娘だった。焼け苦しむ良秀の娘。そこに猿が娘を助けようと火中に飛びこんでくる。初めは夥しい苦悶の表情を浮かべ眺めていた良秀だったが、それは次第に恍惚の顔へと変わる。良秀は地獄変を描き終えた。完成した次の夜良秀は自宅で自ら縊れ死んだ。

 

感想

大切なことは何一つ書かれていない

この話はおそらく大殿様の家臣の「私」によって語られますが、「私」の視点や考え、立場では、あくまで大殿様は善良で胆力のある主人にしか見えないので、大殿様の悪しき噂はちゃんと書かれるものの、自ら大殿様を批判する言い方はいっさいなされません。可能性としては、おそらく「私」は忠義を立てるべき主人である大殿様の悪口を言えない状況なのか、あるいは自ら「性得愚な」と言っているように、主人の悪事に気づかない愚鈍すぎる人物かのどちらかです。おそらく大殿様は大悪人なのです。そしておそらく良秀の娘を手籠めにしようとしたのは大殿様なのです。そしておそらく従わなかった良秀の娘は咎人であるとして、ある意味腹いせに良秀の娘を良秀の目の前で焼き殺したのでしょう。もしかしたら地獄変の絵を描けと命じた時点で、大殿様はこうなることを予見して企んだのかもしれないという深読みも可能です。読者は最初「私」の言うことを鵜呑みにして読まねばいけないわけですから、最後の方まで、大殿様が大悪人であるという可能性を考えないで読まれる場合もあるかもしれません。そんなトリックによってこの小説の深みは作られています。

 

芥川自身の生涯の予言になっている

そしてこれは結果論になってしまいますが、芸術(小説)のためなら何もかも犠牲にする覚悟だった(芸術至上主義)芥川=絵師の良秀とも十分読めます。描きたいもののためなら良心を微塵も持たずに弟子に人でなしのことをしデッサンをする良秀。それは知的エリートの抱える地獄を描きたかった芥川が、自らのその知的エリート的地獄をエスカレートさせていった人生と重なるかもしれません。良秀が地獄変を描くために娘と自らを犠牲にしたように、芥川も自分の精神的健康と残していく家族とを犠牲にしたのでした。村上春樹は本書の序文で「芥川龍之介――ある知的エリートの滅び」と題する芥川龍之介論考を書いています。

 

最後に――良秀と大殿様が抱える「業」

この作品の主題は一に良秀の画業への執念の業、二に大殿様が抱える支配欲への業かもしれません。両者とも読者に十分すぎるほど狂気を感じさせてくれます。文章でも描写されていますが、読者は各々彼らの目に宿す妖しい光を想像することでしょう。そしてこの異常な作品世界に身を浸すことにより、束の間の異世界への旅のような時空の跳躍――控え目に表現して気分転換――が達成されます。この頃(初期)の芥川の短編は緻密に考え抜かれて構成された作品ばかりなので、エンターテインメントとしても機能しています。後期の「筋のない小説」による面白さとはまた別の面白さがあります。黒澤明が「藪の中」をモチーフにして『羅生門』を撮ったように、ドラマ性が高いものが多いです(芥川の作品で「羅生門」という短編もあります。日本語で「真相は藪の中だ」というとき、海外の映画通の間では「それはRashomonだ」と言うらしいです)。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。