もりじゅんの読書ブログ

読んだことない人には面白そうと、読んだことある人にはヒントの1つをと、作品を紹介できたらと思います

理論物理学者が明かす衝撃の時間論 カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』

科学的、哲学的、心理学的、宗教的、その他さまざまな観点から時間について語られてきましたが、現代の最新の理論物理学――著者はその中でも量子重力理論を扱い、超ひも理論と並ぶ「ループ量子重力理論」を主導する一人――の見地に立つと、どう見られるのか? そんな知的好奇心に駆られて、本書を取り寄せました。

 

『時間は存在しない』 カルロ・ロヴェッリ NHK出版

 

2017年にイタリア語で書かれた原書が2019年に翻訳されたのですから、現在から5年以上前の「過去」の概念だとある意味捉えられるかもしれません。さまざまなものが日進月歩の時代ですから。しかし、それでもなお私のような自然科学畑にいない人間を刺激する要素はかなりふんだんに盛られています。

理解できたと思われる箇所、理解がなかなか難しかった箇所、両方ありましたが、本稿では前者、理解が進んだ点に焦点を当ててこの本を紹介してみたいと思います。

 

 

⒈時間の速度は変化する

自分のまわりで経過する時間の速度は、自分がどこにいるか、どのような速さで動いているのかによって変わってくる。時間は、質量に近いほうが、そして速く動いたほうが遅くなる。

つまり、低地に暮らす人間と、山などの高所にいる人間とでは、重力のかかり具合が異なり、低地に暮らす人間の方が流れる時間が短く、年の取り方が少なくなる。また、歩き回っている人間とじっとしている人間とでも、同様のことが起こる。時間の流れ方は定まっていない。

 

⒉各固有時を共通に包括する絶対的な時間や「今」という現在も存在しえない

お姉さんが約四光年離れた惑星プロキシマ・ケンタウリbにいるとして、今、お姉さんは何をしていますか? という問いには意味がない。

地球上のその弟がいる時間系とお姉さんがいる時間系とは異なり、それらをすり合わせる行為自体がナンセンス、という意味である。

「現在」という概念が有効になるのは物理学的に自分の身のまわりだけにしか及ばない。

 

⒊物理学の基本方程式では過去と未来についての違い(方向性)は存在しない

熱力学で生じるエントロピーという概念のみが時間の進行性を発生させる。エントロピーは必ず増大する。そしてその上の文脈でのみ時間は過去から未来へと矢のように進む。

エントロピーとは、つまるところ自然現象の全観測が不可能で、粗視化せざるをえないところから現れる概念である。トランプのカードが、最初1~26枚目までが赤で、残りが黒だったとする。シャッフルすればするほど、赤と黒の並びのエントロピーは増す。しかし、マークや、数字に観点を置き換えると、けしてエントロピーは増大しているわけではない。我々の偏った視点により、エントロピーの増大、つまり時間の進行は、発生している。

 

⒋時間も空間も重力場という物理的実体である

ニュートンは時空に絶対値があると考えた。アインシュタインの方程式に従うと時空は重力場という伸び縮みするシートのようになる。量子力学の世界では時空はそのシートがさらに重ね合わさったような世界になる。

 

⒌この世界を記述するには物ではなく出来事によって語った方がよいのではないか

科学の進化全体から見ると、この世界について考える際の最良の語法は、不変性を表す語法ではなく変化を表す語法、「~である」ではなく「~になる」という語法なのだ。

 

⒍ニューロンに刻まれた「記憶」と、脳の働きの「予測」とで、人間は「時間」を作り出している

物理学の世界、方程式上では、tという時間に関する変数は登場しない。しかし、現に生活している我々には、時間という感覚を剥がれて生存することはできない。おそらく、人間の意識、脳の構造によって、認識されるべきものが時間なのだろう。

 

感想

本書は、おおまかには、三部構成で成り立っており、第一部で、日常的に我々が使っている時間の概念を、物理学的見地から、崩壊させ、タイトル通り、「時間なんてないんじゃないか」と思わせる方向へと進んでいきます。

第二部で、最新の研究から、時空はこんな姿、あるいは関係性を持っているんじゃないかとそっと教えてくれます。

第三部で、読者は再び人間・生活視点へと回帰する旅へと導かれます。こういう要素が時間を時間たらしめているんじゃないかと、いろいろ仮説を提案してくれます。

タイトル『時間は存在しない』、著者カルロ・ロヴェッリが理論物理学者ということから、本書が論文か何かではないかと危惧される方もおられるかもしれませんが、実際のところは時間を思索し続ける著者の視点で編まれた科学エッセイです。

理論物理学のみならず、神話や宗教者の解釈や詩や文学、さらには近代哲学や脳科学を援用して、シームレスに「時間」を論じています。

その記述のカテゴリーに呪縛されない柔軟な話運びにより、読者は人間視点の時間→最新物理学での生気を失った時間→ふたたび時間を携えた人間に帰る、といった体験をさせられます。

幅広い話題選びと、ときたま現れる著者ロヴェッリの人間的な感情、そして時間について考え続けてきた彼の執念と研究に費やした時間の重みがこの本を読みごたえのあるものにしていると思います。

また構成も楽しめました。時間についての人間視点を突き崩されて最後にはまた時間を味わうことのできる一人の人間としての読者に戻されるという過程がスリリングでもありました。

著者はたびたびコペルニクス的転換について言及しています。

宇宙が自分のまわりを回っていると思っていたら、自分が宇宙のまわりを回っていた。

そんな認識の逆転体験を我々にさせたがっているいたずらっ子のような著者のキャラクターを読後私はおぼろげに想像しました。合っているのかいないのかはともかく。

もしその通りなら、彼の企みは少なくとも私にとっては成功したのではないでしょうか。

なかなかいい時間認識の旅の時間を味わえました。

 

 

感想のところに書き忘れたのですが、著者のなるべくを肯定したいという意志も感じられてなかなかよかったです。

そういうスタンスで書かれた文章を目にすると、その文章自体も肯定したくなってきます。

それを書いた彼自身の人格も肯定したくなってくるから不思議です。

 

ちょっとの間フィクションでないものを読み続けていたので、次回は小説を手に取ってみたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。