前回の記事で大切なことを書き忘れていました。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
挨拶や年・季節の区切り、大事ですよね。私ときたら、自分の誕生日も祝わない、クリスマス、正月も楽しまない。まったくの通常運行で日々を過ごしてきました。それはそれでよいのかもしれないけれど、正月三が日~大寒~節分~バレンタインデー~ひな祭りを始めとする節供~ホワイトデー~春分……と、本年度の残りだけでこれだけある季節に配置された分岐点/イベントを味わうことによって、いわゆる春夏秋冬的な感覚を研ぎ澄ます、一年一年の時間の流れを大切にできるといった気もしています。そんなことを思っているうちに、昨夜、風邪を引いてしまいました。これも気づきへの啓示の一つなのかもしれません。
元日から続く能登地震の被災者、被害地域にお住いの方々に何とお声をかけてよいのやら……。心よりお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方々に深く哀悼の意を表します。
私的にも日本的にも世界情勢的にも落ち着かない中、昨年読んだ本についていろいろ思いを巡らしていました。私は読書記録をつけていないので、本棚に残った本(左上から順に好き・価値のあると思っている作家・著作順に並べています。残りの人生で再読しないなと思った本は手放してしまいます)を眺め回していると、かなり上段の方にチャンドラー『ロング・グッドバイ』が入っていました。ということは、昨年の読書で一番に近い収穫物がこの本だったのではないかと。
というわけで、今日は本書について少しお話ししてみたいと思います。
チャンドラーのプロフィール
レイモンド・チャンドラーは1888年、アメリカ・シカゴに生まれる。アルコール依存症の父と母は離婚、母は彼を連れてイギリス・ロンドンに渡る。1912年、23歳のとき、彼はアメリカに戻る。第一次世界大戦に従軍。凄惨な戦争を体験。戦後帰国し18歳年上の女性と結婚する。西海岸に移りビジネスは成功するが深酒が始まりトラブルから、失職。45歳にして文筆業で生計を立てていこうとする。パルプマガジン掲載のミステリーを書きまくり、1938年、長編『大いなる眠り』を書き上げ、「フィリップ・マーロウもの」がスタート。ハリウッドで映画シナリオを書きつつ次々と長編を発表していく。1954年、愛妻に先立たれると、たびたび起こしていた深酒と鬱病が再発し、自殺未遂も。1959年、70歳で死去。代表作に『大いなる眠り』『さらば愛しき女よ』『ロング・グッドバイ』など。(「訳者あとがき」などをもとに要約)
ネタバレなしの概要・ストーリー紹介
1953年発表のチャンドラー全盛期に書かれたハードボイルド小説。独特な文体で独特な性格の持ち主の私立探偵・フィリップ・マーロウが「私」という一人称で語っていく。
フィリップ・マーロウはふとしたきっかけで秘密めいた陰を持つ男・テリー・レノックスと知り合う。淡い友情を交わす二人。しかしレノックスに妻殺害の嫌疑がかけられる。そこへ別件の依頼が舞いこみ、その調査からマーロウはレノックス事件の真相に触れ始める……
この作品の魅力について
⒈ まず文章が別格にオリジナルである
文章がうまいなと思わせる作家は多くいますが、「深い味わいがある」「この人にしか書けない文体だ」と感じさせる文を書く作家は実はそれほど多くはないのではないでしょうか。
その点、チャンドラー、少なくともこの『ロング・グッドバイ』内で綿々と綴られる文章の山並みの上には、彼にしか繰り出せない必勝の文体のようなものが見受けられます。
ときには読者は驚き、興奮し、そのオーバーな表現に感情上で手を打ったり、読書的舌鼓を打たされます。
ときには、と書きましたが、けして読んでいて飽きないようにそのような「特異点」は何度も何度も襲ってきます。ある章では過剰だとまでに思わせるほどしつこく。
もう少し具体的にその「特異点」の性質について紹介していきましょう。
作中のどこから引用を抜き取ってもいいのですが、パラパラとページをめくっていて、気になった次のような個所をさらってみます。
世間には金髪女は掃いて捨てるほどいる。昨今では金髪女という言葉が冗談のたねになるくらいだ。どの金髪にもそれぞれ長所がある。ただしメタリックな金髪はべつだ。そんな漂白したズールー族みたいな色あいのものを金髪と呼べるかどうか怪しいものだし、性格だって舗装道路なみにごつごつしている。小鳥のように賑やかにさえずる小柄でキュートな金髪女がいる。氷のようなブルーの目で一睨みして男をはねつける、彫像みたいな大柄の金髪女がいる。心をそそる目つきをこちらに送り、素敵な匂いを漂わせ、いかにも気を持たせ、腕に寄りかかるのだが、うちまで送っていくと決まって「とてもとても疲れちゃってね」と言い出す金髪女がいる。(以下略)
こういういろんな金髪女の類型を延々と述べたあと、「私の筋向かいに座っているその夢のごとき女は、どのタイプとも違っている。」と、絶世の金髪女であることを指し示します。
過剰で皮肉で、パンチが効いた具体性を持って、一つのことを説明していきます。読んでいる人は圧巻の芸を見させられている気分になります。
上記の引用のような饒舌調と反対の、簡潔調の文もしばしば出てきます。いかにもハードボイルド小説といったような。その緩急がうまく織り交ぜられていて、読者は600ページ近い、全53章の分厚い本を気づいたら読み終わっていることになります。
飽きさせないサービスが日本の高級飲食店並みに至れり尽くせり。
それと、訳者である村上春樹が、特に初期の作品で、確実に影響を受けているだろうなということははっきりと伝わってきます。本人も隠してはいませんが。
⒉ 主人公・フィリップ・マーロウのキャラクターが独創的すぎる
マーロウは妻帯していない、中年のシニカルでタフな男です。考えも思慮深いし、想像力や判断力にも優れている。
しかし、マーロウの一番魅力的なところはと聞かれると、「自己規範を強固に持っていること」だと思います。そしてその「自己規範」から外れる行動は一切取らない。
では彼のその「自己規範」とは何でしょう。「一度信頼した人物には親切にする」「自分が思うモラルに反する人々や組織、存在には徹底的に拒絶する」「自分の二本の足で生活を切り拓く」等のぼんやりとしたことは何となく察せられるのですが、それらが入った全体の箱を、私たち読者は外から眺められないようになっています。つまり、マーロウは、どれだけ読んでも読者にとって理解しがたい存在でい続けます。
それがフィリップ・マーロウの魅力となって、読者のページを繰る指を止めさせないのではないでしょうか。
⒊ マーロウとレノックスの友情のお話
ネタバレにならない範囲でストーリー紹介のところで「淡い友情を交わす二人」と書きましたが、これまたネタバレにならない範囲で言うならば……その友情の果てに、マーロウはある幻滅を覚えます。幻滅では適確でないかもしれません。ある幻想を捨て去ることになります。
この形式の小説には、前例としてフィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、模範したものに村上春樹『羊をめぐる冒険』があります。
どの作品も、ラスト、そこはかとない哀情が滲み出していて、そこもまたよい読後感となっています。
まとめ
⒈ とにかく文章が面白い。飽きさせない工夫があちこちに鏤められている。
⒉ 主人公が謎めいて魅力的。
⒊ 読後感もほんのりとした感傷に浸れてよい。
今年中に私自身、チャンドラーの作品をもう何作か読んでみたいと思っています。
明日、アメリカに住んでいる妹が日本に帰ってくる予定です。
もう十年近く会っていないと思います。
おいしいお店に連れていって、いろいろ話を聞いてみたいと考えています。
最後までお読みいただきありがとうございました。