太宰治のプロフィール
1909年(明治四十二年)、青森・津軽の大地主の家に生まれ育ちました。東京帝国大学(現東京大学)文学部に進学、中退し、学生時代から抱いていた文学への志を胸に小説家として活躍していきます。主な代表作に「走れメロス」『斜陽』『人間失格』などがあります。デカダンな私生活と作風で知られる私小説作家です。何度も女性と心中を試みますが、1948年(昭和二十三年)6月13日、玉川上水に愛人とともに入水、38歳で死亡。現在でも遺体が発見された6月19日は「桜桃忌」として国民に愛される作家です。
『斜陽』の背景
1947年(昭和二十二年)に発表された中編小説です。当時としては長編小説だったのかもしれませんが、現代では中編に値する長さです。太宰の愛人の一人・太田静子の日記や、チェーホフ『桜の園』から着想を得た、没落貴族の女主人公が太平洋戦争後どう生きのびていくかを描いた作品です。1946年(昭和二十一年)頃を舞台に、女主人公・かず子が「私」という一人称と視点で語っていきます。映画化は2回されており、2009年『斜陽』(秋原正俊監督)と2022年『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』(近藤昭男監督)があります。
主要登場人物
- かず子 29歳の華族の家の娘。死産と離婚、肺病を経験している。
- お母さま かず子の母。貴族の典型のようなマダム。十年前に夫を亡くしている。
- 直治 かず子の弟。麻薬に溺れる弱い性格の青年。従軍しアヘン中毒になっていて帰還。
- 上原二郎 直治が慕う小説家。「無頼派」らしく酒と女に溺れる。
あらすじ
戦後、家を引き払ってお母さまとともに伊豆の山荘へ移り住んだかず子は、慣れない庶民の生活を強いられる。そこへ直治が帰ってくる。弟を通じて知り合った上原に彼女は恋のような思いを抱く。お母さまは結核で病没し、彼女は思い切って上原の赤ちゃんを孕もうと東京に出てくる。時を同じくして上原の奥さんに恋慕していた直治は自身の弱さに絶望して自死する。彼女は直治の死を思い、上原の奥さんに「これは、直治が、或る女のひとに内緒に生ませた子ですの。」と言うつもりであると上原に手紙で宣言する。
解説、面白がれるポイント
⒈ まず、第一に、男性作家が女性の視点でのモノローグを巧みにこなしていることです。とにかく女性目線での記述がうまいです。
これは太宰が交際していた太田静子のつけていた日記を読んだことが大きく影響しているのかもしれません。
実際、静子は太宰の娘を産み、その娘は小説家・太田治子さんとして現在でもご活躍されています。
私が印象に残った女性目線での描写に、次のようなものがあります。
海は、こうしてお座敷に坐っていると、ちょうど私のお乳のさきに水平線がさわるくらいの高さに見えた。
男性目線ではなかなか「お乳のさきに」と指示できませんよね。こういう具合がとにかく上手です。
⒉ 貴族っぷり、つまり、世間知らずもほどほどにしろよ、というような、登場人物たちと、その感情を、お腹いっぱいになるほど描いている。
世間知らずを、夢見がちな人々、と置き換えていいのなら、本作の主要登場人物のかず子、直治は、ともにまさにそのようなキャラクターです。
夢見がちな人々に共感できる読者はそのまま感情移入できるし、夢見がちな人に共感できない読者でも、ここまでくればすげえな、と笑って楽しめる内容になっています。
とにかく世間を知らなすぎる。
ここまで徹底して描かれるとあっぱれだな、とまで感じさせるほどに。
⒊ そんな登場人物たちが、時代の大転換期にどう対応していくかが、それぞれに違っていて、楽しいです。
現2024年の私たちが生きる世界、日本でも、私は第二次世界大戦後と同じぐらいの転換期にあると思っています。
その「今」に通じるぐらいの「道徳の過渡期の犠牲者」になるのが、主要登場人物の四人です。
私の読み方では、四人は、戦後、以下のような道筋をたどっていったと考えています。
- かず子 貴族→庶民へと完全転回しようと努める
- お母さま 貴族→貴族のまま死を迎える
- 直治 貴族→庶民に転回しようとするがうまくいかず貴族としての死を選ぶ
- 上原二郎 ?→?(私にはこの?は貴族的精神を持った庶民のように思えました)
この四人は、もしかしたら、太宰治にとって、次のような存在かもしれません。あるいは私はそのように読みました。
- かず子 精神の遍歴としての太宰
- お母さま 太宰の理想像の人物
- 直治 太宰の本音が一番乗っている人物
- 上原二郎 作家としての太宰
こういうことを読者一人一人が考察するのも、読書の楽しみの一つだと私は思います。みなさんにとってはどう読めたでしょうか。
⒋ 六章での盛り上がり。
この章では一気に展開が前進します。
それに合わせて、「戦闘、開始」や、「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」のフレーズのリフレインが行われます。
それがテンポを加速させて楽しい。
改行も多く、すらすら読めます。
⒌ 「人間は、みな、同じものだ。」というテーマに対して、徹底的な反論が行われている。
太宰は、平等思想が、どれだけ人間を不幸にしているかを書き綴ります。
死の直前の直治の遺書という形を取って。
それは、作者本人を苦しめ続けてきた考え方であり、翌年自死する太宰の本心の思いと考えてもかまわないのではないでしょうか。
現代でまかり通っている能力主義論と通底する問題がここにはあると私は思っています。
まとめ
この小説の舞台と設定は、戦前近代から戦後現代への転換期に、貴族が終わりを告げるというものになっています。
女主人公・かず子は、「貴族が庶民の暮らしの中で現実に目覚める」という体験をしていきます。
けれども結末までずっと庶民の目線から見ればかず子は中途半端な貴族のままです。
これは貴族は貴族のままでしかいられない、言い換えるなら、世間知らずは世間知らずのままでしかいられない、もっと言うなら、世間知らずが世間知らずであることを肯定する小説のように私には見受けられました。
もう少し穏便な表現を用いるならば、理想家が少しでも現実家になろうともがく小説だと。
貴族=夢見がちな人々と、庶民=現実家の人たちとの断絶が示され、なかなかに切ないです。
二十数年ぶりに『斜陽』を読み返したのですが、以前と違って読める自分に驚きました。
高校生や二十代のときとはまた見方がまったく違ってきました。
こういう、定点的古典作は、再読のたび、己の人間的成長のようなものが感じられてなかなかよいですね。
みなさんにとってのそのような「古典」は何でしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。