もりじゅんの読書ブログ

読んだことない人には面白そうと、読んだことある人にはヒントの1つをと、作品を紹介できたらと思います

わからないけれどわかる男心 強者は弱者と心を通ぜられるのか? 白石一文『一瞬の光』

こんにちは。

雨が降っています。

全国的に快晴というところはなさそうな祝日。

いかがお過ごしでしょうか。

『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を読んでいるのですがこれがなかなか読みごたえがある。私の「能力」だと一日に頑張っても2章しか読み進められないペースなので、今日は気分を変えて昔贈っていただいた本の紹介をしたいと思います。

 

『一瞬の光』 白石一文 角川書店

 

奥付を見ると平成十二年一月十日初版発行とありますので、2000年発表ということになります。

白石一文先生はこれ以前に純文学の世界でデビューしておりますが、本名名義で再びこちらの書籍でエンターテインメント小説でデビューし直しました。翌年、私がお会いしたときはまだ文藝春秋社に籍を置かれていまして、兼業で作家活動をされていました。私もそうでしたが、少しお体の具合がよろしくない様子が印象に残っています。それでもお時間を割いてくださり、懇切にお世話いただきました。

 

当時読んだときと、今、この作品と向き合うときとで、感想が異なりますので、そのへんのことなどについて書いてみたいと思います。

 

 

簡単なあらすじ

エリートサラリーマン・橋田浩介は男から見て非の打ちどころのない美女・藤山瑠衣と交際している。ふとしたことで知り合った複雑な家庭環境の短大生・中平香折に魅かれる。浩介は香折に愛を覚えるが、あるとき事件は起こり……。

 

23年前の感想

話のストーリー通り、浩介目線で、香折を気にかける彼の心情に同調し、読めました。男のやさしさといいますか、つい、香折のような自分が手を差し伸べなければ折れてしまう凍った一本の花のような女性を、愛してしまう。その強者男性と弱者女性といいましょうか、二人のいたわりの関係が、ラストの展開とシーンによって印象づけられていると。率直に言って、グッときました。

 

結末改変について

白石先生の関係者の方から伺ったのですが、刊行より24年たっていること、内容的に、オフレコではないと判断した上で記すのですが、当初の原稿では、その「事件」はなく、浩介と香折は幸せに暮らすという結末だったようです。

私はそれを知らされていない段階で読んだので、むしろ、その展開に夢中になって巻きこまれ、最後、「これでよかったのか?」と考えさせられる側面もあり、偉そうに聞こえるかもしれませんが、感心してしまいました。ふむ、なるほどと。一読者としても、心に残り続ける映像のようなものが届けられました。

しかし、それが編集者の指摘により、現在のように書き換えられたとのこと。私はまず作者である白石先生の心情を考えました。書き直して最終的に出版したということは、それは契約上は同意した上でということなのですが、心情的には、複雑なものがあったに違いありません。しかも、私のような読者――つまり、その改変によって作品の魅力が上がったという意見の持ち主――がいる、という事実によって、だいぶ入り組んだ思考をめぐらせたであろうことは想像可能です。白石先生は、もしかしたら、純文学の頭のモードから、エンタメ小説の頭のモードへの移行期だったのかもしれません。これは単なる推測にしかすぎません。そして、それを刊行前後に乗り越えたのだと。

確かに、起承転結、ドラマツルギー的には、その「展開」がないと、おかしなことになります。グラフで言えば上方向か下方向かは読者それぞれの見方に委ねられますが、どちらにしろ小説開始時からラストまで斜線が引かれるだけです。その展開によって、劇的、文字通り、「劇」が生まれるわけです。そこを決定的な境目として分かたれる前とあとが生じるわけです。そのせいで、最終部分の静的なシーンが印象に残ります。

そんなある意味自明のこと、そして個人的な感想をすべて白石先生に話したわけではないのですが、微妙な表情をされていたのを記憶しています。

 

現在の見方

普通に、一読者として、また、中年の男性として、「自分だったら浩介と同じ行動を取るか? 同じ選択をするか?」という疑問に対しては、何とも言いがたいものがあります。小説世界で起きたことを現実世界でも起きたと仮定して、自分がどう振る舞うか。23年前と同じく、感情移入できるかどうか。判別しがたい。

推薦の帯を村上龍氏が書いていますが、

自由主義経済は必然的に弱者・犠牲者を生む。この小説は、絶対的に弱者の側に立とうとする人間を描いていて、それが楽観的すぎる思いこみか、あるいは希望へと繋がるものか、その判断は読者に委ねられている。

とあります。

私の迷いは、23年前は「希望へと繋がる」読み方をしていたのに対し、現在は「楽観的すぎる思いこみ」の読み方をするんじゃないかという惧れです。この両項のバランスを取ってこそ、人は理性を保っていると現在の私は考えます。そう踏まえますと、いろいろ考えさせられることでしょう。

 

 

白石先生のサインを見ると、温かく接してくださった一人の人間・白石一文の人柄が偲ばれて、感謝の念を思い起こさずにはいられません。

 

 

出会いが人生を導くと、四十後半になると、つくづく思います。これからも白石先生のご活躍を応援しております。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。