吉行淳之介の小説システム図
こんにちは。
今日は2024年2月4日、立春ですが、だいぶ冷えこんでいます。
寒は明けたわけですが、今週、雪がちらつくとか何とか。
毎年、この時期に第二弾の寒さの底がやって来ます。
みなさんどうぞご自愛ください。
本書のあらまし
1997年に単行本が刊行され、2004年に文庫化された村上春樹『若い読者のための短編小説案内』をご紹介したいと思います。
各判型で1度ずつ読んだのですが、これがなかなか面白い。作家って、こんなところに気を配って小説を読んでいるんだ、あるいは、こんなところに気をつけて小説を書いているんじゃないかとか、いろいろ想像できて、奥深い読み物になっています。本書出版のきっかけは在米時代プリンストン大学大学院で日本文学の授業を受け持ったときにした講義(ディスカッション)で、そのスタイルをもとに「第三の新人」を中心とした短編小説をいかに読むか、といった内容の本を出すという計画が文藝春秋内で始まったようです。その雑誌連載をまとめたのが本書。
扱っている作家と作品は、次のような順番です。
- 吉行淳之介「水の畔り」
- 小島信夫「馬」
- 安岡章太郎「ガラスの靴」
- 庄野潤三「静物」
- 丸谷才一「樹影譚」
- 長谷川四郎「阿久正の話」
この記事では、冒頭の吉行淳之介「水の畔り」の回を例として、どんな風に村上春樹が人の小説を読んでいるのか、考察しているのか、語っているのかについて、紹介してみたいと思います。
吉行淳之介「水の畔り」
作品の背景と執筆時の作家について
まず短く「水の畔り」の発表時期や吉行淳之介作品の中での立ち位置、また彼が結核の手術を前々年に受けその翌年芥川賞を受賞した、などの背景が書き記されます。
どんなところが好きなのか
次に一読者村上春樹はこの作品を愛好している理由を語ります。「完成しきっていない」から、とか。
あらすじ紹介
読んだことのない人が大半だと思われる作品なので、けっこうな分量で筋の要約がされます。
肺病で千葉の病院に入院している主人公は三十前後の男だが、おそらくハイティーンの少女と交際している。しかし男女の関係があるわけではなく、ゲーム感覚でくっついたり離れたり。彼の中では、関係を深めたい欲と、いやこのまま曖昧な関係でいたいという相反する感情がある。ある日、ラジオからなぜかその少女の声を幻聴として聞いてしまう。その体験は彼を揺さぶり、その気持ちをぶつけようと、彼は東京へ出ていく。だが都会的なスマートさが売りだった彼は妙にぎこちなくなってしまい、少女に怪しまれる。ある偶発的な事件をきっかけに、彼は恋愛に入っていくことを諦め、元の「技巧的な」男に戻る。そして自分の中途半端な状況にけりをつけるために、肺の手術を受けることを決意する。
注目ポイントの提示
村上春樹は、この作品の文体がだいぶ乱れているとして、「なぜこの短編は乱れなくてはならなかったか?」と問いを立てます。それをとっかかりにこの作品を読みこんでいこうと。
結論が先に出され、作品内の主人公の技巧性と、まっすぐな気持ちをぶつけたい思いを、村上春樹は吉行淳之介自身がこれから文筆で生計を立てる上で、技巧性で勝負していくのか、それとも本質で勝負するのか、迷っているのと重なっているのではないか、と言います。
二つの対立する世界の分類
そのあと、作品世界の物事を2つのファクターに分けてしまいます。
- 技巧性の世界に属するもの 東京、少女とのゲーム的な恋愛、運河にも見える人工的な糸縒川
- 非技巧性の世界に属するもの 水郷の小さな町、異性間の情熱的な愛、湖のように巨大な自然のT川
この両陣営の間で主人公は引っ張られ揺れ動いていると村上春樹は言います。作中だけでなく書いている吉行淳之介その人もと。それが逆にうまく書けている、とも。
自我と自己と世界の関係を図示する
村上春樹は小説を書く上で嫌でも自我と向き合わねばならないと断言します。そこで登場するのが冒頭の自我と自己と外界の関係を表した円の図です。もう一度貼ります。
外界と自我の間に挟まれて等しい圧力を受けることによって我々の自己は正気を保っている、と村上春樹は唱えます。しかしそれはけして心地よいことではない。吉行淳之介の小説でのこの問題の解決の仕方は、移動による技巧性だ、と彼は考えます。
けっこう大胆な発言が多い
以上のような流れで本文は論じられているのですが、私がときどき驚くのは、かなり率直な物言いが見られるという点です。
例えば次のような箇所が出てきます。
でも正直に言って、吉行淳之介がそれほど巧い作家だとは僕は思わないんです。多くの人が吉行さんのことを短編の名手みたいに言うけれど、僕はそんな風に感じたことはあまりないですね。むしろこの人の文章は下手なんじゃないかとさえ思うことがあるんです。
このあとに、そういう不器用なところに吉行淳之介の文章の魅力はあるんじゃないかという論旨に繋がるのですが、それにしても、新人のときにお世話になった当時大御所作家の吉行淳之介相手にこういう口を利けるのを読んで、私としてはなかなか面白かったです。真剣に愛を持ってるからこそ言えるんだろうな、と。作品を評価していること前提の発言なのだと。
こんな具合に、図を使ったり、ぶっちゃけトークをしたりして、残りの5人の作家の5作品について「読みどころ」を踏まえつつ語ってくれます。
人の感想を聞いたり読んだり、人の読み方そのものを知ったりするのって、面白いですよね。
興味を持たれた方は手に取ってみてください。
もうすぐS・モーム『月と六ペンス』を読了できそうです。
間に合えば次回紹介してみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。