レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』で彼の文体に魅了され、初長編作『大いなるお別れ』を読んでみました。
期待していた「文体の精度・密度」は得られなかったものの、主人公・フィリップ・マーロウの性格は知っていたので、描かれる作中の人物・出来事・風景を彼はどう眺め、思い、考え、行動に移していったかに注目して読み進めてみました。そう一文一文注意して読むと、いろんな発見があって驚き。この記事では、マーロウ視点に重点を置いて本書を紹介してみたいと思います。
簡単なあらすじ紹介
私立探偵マーロウは資産家の将軍に呼び出され、次女がしでかした不始末――借金の揺すり――を解決するべく、捜査を開始する。それは長女の失踪した結婚相手の捜索とも結びつき……。
感想・気づいたこと
ハードボイルドな感情表現
当然といえば当然のことなのですが、ハードボイルド小説では直接的な感情表現は行われません。例えば、登場人物が驚いたとき、「(私は)驚いた」「(彼は)驚いた表情をして」という記述は普通なされません。極めて間接的にか、大仰な言い回しをして、それはなされます。1章でマーロウが将軍邸に呼ばれそのイカれた次女の奇矯な行為に驚くシーンがあるのですが、
私は驚きのあまり落ちた下顎をなんとか胸から押し上げ、彼に向かって頷いた。
と、「驚き」という単語は入っているものの、オーバーな表現をわざと用いることで、ユニークさや、マーロウ自身の心情に次女への侮蔑や呆れた、といった感情が含まれているんじゃないかという読者の類推を許させています。
このように、マーロウはストレートには自分の思っていることや意図を語ることはしません。ですから、読者は「この話し相手の会話文を聞いて、書かれてはいないけれど、彼は心中どんなことを思っただろう?」などといちいち想像を膨らませながら読むことを求められます。丁寧に読むのならば。
面倒臭いけど、読みがいがある。けして考えて答えに結びつかないときもあるけど、考えて読んだ方が読み違えてページを戻すことが少なくなるから、結局そうした方がいい。すらすらと進めなくても憶測好きは迷路の間を歩いているような体験をできます。
細部へのこだわり
また、そうやって一つずつ考えながら読んでいくと、ディテールが異常なまでに指示されていることに気がつきます。
22章では、長女が交際のあるインテリヤクザの経営する賭場でルーレットの大勝ちをするシーンがあるのですが、冒頭、話とはまったく関係ない会場でルンバを演奏するメキシコ人の楽団の描写がなされます。
あとの四人は申し合わせたようにいっせいに身を屈め、椅子の下からグラスを取り、それを一口すすり、うまそうに唇を鳴らし目を輝かせた。飲みっぷりからするとテキーラのようだが、実際はたぶんミネラル・ウォーターだろう。そんな芝居は、彼らの音楽と同じくらい無益だった。誰も見ていなかったのだから。
活き活きとした、あるいは額に汗しているメキシコ人たちの顔が浮かぶようですが、繰り返しますが話の本筋からすると脇道にだいぶ逸れています。マーロウの目にはそう細かく映った、といったことを、このようにしつこくしつこく積み上げていきます。読者は自然、現実世界の無秩序さに似たものを覚えさせられます。リアリティーが生まれるわけです。
マーロウが差し出したもの
そんなマーロウがこの小説世界を生き抜く上で大切にしているものは何でしょう。
読んでいて、以下の会話文が鮮明に目に飛びこんできました。
「それっぽちの報酬のために、君はこの地域の法執行組織の半分を敵にまわそうというわけか?」
「好きでやってるわけじゃありません」と私は言った。「しかしそれ以外に何ができるというんです? 私は依頼を受けて仕事をしています。そして生活するために、自分に差し出せるだけのものを差し出している。神から与えられた少しばかりのガッツと頭脳、依頼人を護るためにはこづき回されることをもいとわない胆力、売り物といえばそれくらいです。(後略)」
たしかに、最後まで読んでも、マーロウは依頼人のために、それらのものを差し出しています。では彼はなぜそれを差し出さねばならないのか? 何のために差し出すのか? 結局、マーロウはマーロウが抱えるモラル(自己規範)のためにそれを差し出しています。そしてそうすることにより得られる自由のために差し出します。マーロウは、タフで、頭の回転の速い、だいぶシニカルな男です。でも、それとコインの裏表のように、人情に厚いところも持ち合わせています。あと反骨心。つまるところ、マーロウは依頼人のために自分の有能な面だけでなく、むしろ、いたわりの心を届けているのではないでしょうか。セットで不服従も。依頼人からしたらいたわりだけを受け取りたいところですが、マーロウは反骨精神とセットで報います。そこが、マーロウの不思議といいますか、憎めない、いや、憎いところです。
ラストの展開の手際のよさ
最後に、『ロング・グッドバイ』のときもそうでしたが、結末数章分での意外な展開が畳みかけられ唐突に終わる、という心憎い幕引きについて少し書きたいと思います。
マーロウの複数事件にまたがる全体の推理は、その都度、その都度で書き換えられていくのですが、ラストに、大規模なアップデートが行われます。その大胆な展開に読者は驚くわけですが(推理小説の醍醐味ですね)、だらだらと余韻を引き延ばすタイプのエンディングではなく、カットをバサッと切ってエンドロールが流れる映画のようなタイプの締めくくり方がされます。それが潔くてカッコいい。「男」のマーロウを書いているチャンドラーもまた「男」を感じてしまいます。「それまでは適当に流してたんだぜ、俺は」と葉巻でもくゆらせながら低音で言うチャンドラーの妄想の顔が浮かぶほど。これが2回目ですので、クセになる人の気持ちがわかってきました。
ひとこと、余裕があったら次『さよなら、愛しい人』を読んでみようかなあ。
明日から関東地方ではしばらく雨模様のようです。気温も戻るようです。みなさんお体にお気をつけください。
最後までお読みいただきありがとうございました。