「UFOが釧路に降りる」という短編を解説してみたいと思います。
理由は2つありまして、1つは『神の子どもたちはみな踊る』のスタートを飾る短編であること、もう1つは解説らしきものをできそうな予感がすることです。
この作品はほぼ時系列と執筆順とが同じです。掻い摘まんで説明すると、
①阪神大震災。東京在住のオーディオ機器販売店に勤める主人公・小村の妻はテレビで震災のニュースを五日間見続ける。そして書き置きを残して山形の実家に帰り離婚となる。
②途方に暮れた小村は一週間の有給休暇を取る。同僚の佐々木が釧路に住む妹に《10センチくらいの立方体》の荷物を手渡してほしいと頼む。特に旅先とか決めていなかった小村は受諾。
③釧路の空港で佐々木の妹・ケイコと「仲間」のシマオさんが出迎える。小村は荷物を渡す。
④三人でラーメン屋に行き「サエキさん」という人が地震とUFO目撃とは違うけれど小村と同じような体験をしたという話を案内した女二人はする。
⑤小村の滞在先として二人はラブホに連れてゆく。一人残ったシマオさんと小村はそういう行為に及ぶが、うまくいかず。
⑥小村は自分が中身のない人間でないか、それと同時に届けた箱の中身が気になりだす。「小村さんの中身が、あの箱の中に入っていたからよ」とシマオさんに言われ小村は唐突な圧倒的な暴力の衝動を覚える。
⑦ラストの一行、《「でも、まだ始まったばかりなのよ」と彼女は言った。》でこの作品は締めくくられる。
ここから3点に分けて注目ポイントを指摘したいと思います。
【1】
私も初読のときに感じましたが、釧路のケイコとシマオさんのやり取りなどからくる見過ごせ切れない違和感は何か?
・佐々木は「見えるように箱を手に持って、ゲートを出たところに立っていてください」と言う。しかし箱を持っていなくても女二人は小村を簡単に見つけ出す。
・二人は小村の奥さんは亡くなったと聞いている、と強硬に言い張る。小村の気持ちなど考えもせずに。
・二人は秘密めかした「熊の話」や「サエキさんの話」などの不気味な内輪ネタを共有している。
・二人は小村との会話であまりにものらりくらり話す。
こういう「よくわかんないこと」は村上春樹作品ではよくあること、と考えるのはたやすいことですが、読者はそれなりに仮説をいくつか立てることを求められます。
けれどもうまく結実しない。
そんなもどかしさの中この小説は終わってゆきます。
そのいくつかの仮説の中から、「実は、釧路の女二人は新興宗教に属していて佐々木と手を結んで小村を勧誘しようとしていた」と結論づけることはけして暴力的な判断ではないのではないでしょうか。
佐々木とケイコが兄妹というのすら怪しいものです。
この小説内では一言もそんなことは書いてありません。
しかしこの仮説の上で読むと、すべてが納得いくことになります。
震災後のオウム事件の予兆、前触れ、としてこの短編集の中でも冒頭に配置されたのではないかという憶測も可能です。
【2】
序盤の小村夫婦のすれ違いの強調について。
ハンサムな小村は周りから見てどこが魅力的かわからない妻と結婚する。とにかく小村は落ち着ける気分になる。
対して妻は前々からたびたび息苦しさを感じて実家に帰っていた。
妻が残した書き置きは
あなたの中に私に与えるべきものが何ひとつないことです。(中略)あなたとの生活は、空気のかたまりと一緒に暮らしているみたいでした。
ここで、小村にとっては心休まれど、妻にとっては小村は「空気」のような存在でしかなかったということが語られます。
【3】
結末近く、再度シマオさんと小村の間で書き置きの話になります。
「中身がないということだと思う」
と作者は小村に言わせます。
シマオさんは適当に慰めます。
適当なシマオさんは《「小村さんの中身が、あの箱の中に入っていたからよ。(中略)だからもう小村さんの中身は戻ってこない」》と言います。
その瞬間、小村の中で《圧倒的な暴力》が立ち上がります。
これは何なのでしょうか?
震災や地下鉄サリン事件を象徴する暴力、あるいは不条理への対抗心としての暴力の衝動かもしれません。
その衝動をようやく小村はこの年になって自覚した、という話かもしれません。
これまで目に入らなかった(背けてきた)己の内の暗部をようやく目に留めた、といった瞬間なのかもしれません。
「ずいぶん遠くに来たような気がする」と小村は正直に言った。
これが最後の小村の発言です。
心理学的に言えば顕在意識から遠く離れた自分の潜在意識まで降りてきた、ということだと私は考えています。
そしてラストのシマオさんの「でも、まだ始まったばかりなのよ」でこの話は終わります。
その暗部まで降りていってから本当の小村、あるいは我々の物語は始まるのだと。
そういう連作短編集の出だしでの宣言のように私は読みました。
こうやって改めて考察してみると、かなりめんどくさい作品ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。