たまに発作のように中島敦の小品を読みたくなるときがあります。小品といっても美しく磨かれた珠のような佳作。佳作というか名作。無駄なく、欠けているものもない構成美と、「何々である」と野暮な解説をさせる気も失せる深淵さ。謙虚さ。そんなものを湛えている彼の作品と触れ合いたくなってしまいます。
以前「山月記」を取り上げたのですが、今日は「名人伝」を読んでみました。
やっぱり面白い。読後感も上品な余韻の残り方。「名人伝」について、少しお話ししてみたいと思います。
「名人伝」の簡単な紹介
紀昌は、天下一の弓の名人になろうと思った。飛衛に弟子入りする。飛衛は百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人。飛衛は紀昌に命じる、まず瞬きせざることを。紀昌は機織り台の下に潜りこみ、妻が動かす器械の上下するのを凝視し続けた。二年ののち、熟睡しているときでも紀昌の目は見開かれ、彼の目の睫毛と睫毛の間に小さな蜘蛛の巣ができた。
紀昌は飛衛に報告すると、次には、視ることを学べと言う。紀昌は一匹の虱を頭髪で結び、窓にかけ、睨み続けた。三月後、その虱は蚕ぐらいの大きさに見えた。三年後、虱は馬のような大きさに見えていた。表に出ると、人は高塔のようであり、馬は山であり、豚は丘みたいで、鶏は城塞のようだった。そんなに大きく見えるのだから、窓に吊るした虱を射損じるわけはない。矢は見事に虱の心の臓を貫いて毛も切れなかった。
紀昌は師に報告する。それからようやく射術の奥儀秘伝が授けられた。……このように弓の名人を目指す紀昌の辿り着いた境地とは。
弓における「ドラゴンボール」的成長
このように、紀昌は単純で長期間にわたる過酷な特訓を行って、弓の名手として次々とハードルを克服してゆくのですが、それがちょっと漫画の「ドラゴンボール」っぽくていいんですよね。悟空がヤムチャを乗り越え、亀仙人に敗れ、亀仙人の下で修業し、カメハメハを身につけ、いろんな強豪に勝ったり負けたりまた新たな修行をして成長してゆくドラゴンボールスパイラル的要素がちょっとある。いや、それを超えているかもしれません。だって、ドラゴンボールでは、闘わずに相手を視ただけで倒す、とか、次元の違った肉体戦でない戦闘に移行するとか、ないはずですから(私の見ていないところで、もしそういうのがあったらすみません)。
オチが素敵
ネタバレになるのでその後紀昌がどんな修行をし、どんな腕前になってゆくのかとか、そういう展開については言えないのですが、紀昌が本当の弓の名人として帰ってきたときと、オチになっている晩年のエピソードが、いいんですよね。
紀昌は弓を携えていない理由を訊かれ、こう答えます。
至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。
この返答もカッコいいのですが、この短編が完全に老荘思想が根底にあることを指し示してもいて、スマート。そして引用はしませんが、だいぶファンタジーです、作品世界そのものが。純東洋ファンタジー。何でもありの世界です。
ラストの晩年のエピソードでのオチが秀逸すぎて、そのよさは読んでいない方には伝えにくいのですが、「何かを極める」ということが結局何を意味しているのか、考えさせられます。究極まで行くとどういうことになるのか。ぜひご自身の目でご覧になってみてください。
今週コロナワクチンを接種したのですが、ワクチンを打ったのか、コロナにわざわざかかりに行ったのか、わからないような発熱をしてしまいました。もう個人的にはワクチンはいいかな、という結論に達しています。
そんなわけで取りかかっている本の読書もほとんど進まず、中島敦先生に逃げてしまいました。今は熱が落ち着いているので、ぼちぼち続きを読んでみたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。